惑星☆のかけら

向精神薬からの脱却記録、個人的な生活メモ、雑記、つぶやき、好きな音楽について書いています

1985年の夏休み

15歳の夏休みをあなたは覚えていますか?

当時中学三年生だった僕は部活と受験勉強の二種類の行為をただ無目的に漠然とこなしていたことしか記憶にない。「部活」と「受験勉強」には体を鍛え勉学に勤しむという学生の本分が確かに含まれてはいるが、その本質を考えることなく世間や周りの目を気にしながら「そうするのが良いらしい」という空気に従っていただけだ。そのときの僕はただのロボットのようなものだったのだ。そう気が付いたのはそれから33年後の夏、2018年8月である。勉強は自分にとっては何だったのだろうか?間違っても「将来は科学者になりたいから数学や理科を勉強しよう」とか「文学者になりたいから本を沢山読もう」とは思っていなかった。学校の成績が良いと親や教師から良く思われるから、周りの友人から一目置かれる存在になれるから、ぐらいの気持ちしかなかったと思う。今としてみればとても寂しくむなしい気持ちになる。「本質を見抜く力」というものがいかに大切か痛感する。

では本来、勉強とは何なのか?

今現在、自分で言えることは「今、知りたい学びたいことを深く掘り下げること」だろうか。自分が本気で知りたいことを集中して調べたり、参考図書を読んだりして見聞を広めること。そこには「なぜなんだろう?」「どうしてそうなるんだろう?」という疑問符が常に付きまとう。「?」が知ることの原動力になり、学ぶきっかけになる。つまり様々な人生における失敗がなかったら自分にとっての学ぶきっかけがなかったわけで、失敗して挫折してもっと勉強しなきゃだめだなと思ったことがエネルギーになっているのである。今、自分にとって最も興味があるのは自然科学の分野、宇宙&生物の進化や起源、社会学などである。ここに辿り着いたことには確かに理由はあるのだ。

1985年の夏もきっとそれなりに暑かったんだろう。2018年の夏はどうなるか?

自分次第である。

 

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