惑星☆のかけら

個人的な生活記録、雑記、つぶやき、好きな音楽について書いています

小林くんに捧ぐ(前編)

「いまかよ!」と自分の中で思わず呟く。

なぜ今?あれだけ嫌な記憶だから脳の中に閉じ込めてコンクリートで固めて地下3000キロメートルに埋めておいたはずなのに。

小学校高学年時代に不登校を経験している僕は1980年10月から1982年11月までの間に4回ほど入院生活を送ったことがある。小児科病棟に入院させられて、精神鑑定とか知能検査とか脳波測定とかCTスキャンとか胃カメラとか・・・もうありとあらゆる検査を受けさせられ、家族とも隔離された暗黒時代を送った過去がある。その記憶が、最近になってより鮮明になってきているのだ。それはトラウマと呼ばれるものなのか、ある特異な記憶の断片なのか、何なのか良く分からないけれども、約40年前のことが気になって仕方がないようである。これは今の自分の心境と何かシンクロしているのかもしれないし、現在の状況やこれからのことを考えるヒントになるかもしれないと思い、書き始めてみた。「辛いな」と思ったら止めようと思う。

この件のキーワードはクイーンとYMOである。

「ある記憶が冷凍保存されていてカギが二重にロックされていた」という仮説を自分で立ててみた。

4回の入院のうち一番印象に残っているのが、第二期1981年2月から5月の入院期間だ。

その期間、僕は信州大学医学部付属病院(長野県松本市にある)に入院していた。この病院に入院している子たちはほとんどが難病を患った子ばかりで、僕が入院して入った6人部屋の中の他の子たちはみんな白血病だったと思う。(正確に病名を聞いたことはなかったので確実とは言えないが、血液製剤の点滴を頻繁にしていたのでたぶんそうだったと思う。)

この6人部屋の病室には、ほぼ年が近い男の子が揃っていた。ベットの後ろの棚には好きな雑誌やコミックやカセットテープが並べられていたので、お互いに何が好きなのかが一目で分かるという環境であった。僕はドラえもんのコミック数冊と機動戦士ガンダムの「BGM集~戦場で」とYMOの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」と「パブリック・プレッシャー」のカセットとモノラルのラジカセを置いていた。まさに1980年のセレクトで笑ってしまうが、他の子も鉄道雑誌、国鉄の時刻表、アニメージュ、少年ジャンプ、ルービックキューブなど「これぞ昭和」といったアイテムを揃えていたので各々のキャラクターが早く理解出来て良かった。共通項が見つかればそれについての会話が始まるところは今のSNSと全く同じで、40年前もコミュニケーションの基本は変わっていないことに気が付く。ただリアルかネットかの違いがあるだけだ。

深刻な病気を抱えている子たちがいるにも関わらず、病室には暗く湿った空気はなかった。いや、今でこそ理解できるが、みんな深刻な事態を抱えていているからこそ無理して明るく振舞っていたのだろう。お見舞いに来る家族の人達もとても気を使っているように感じられた。時々、容態が悪くなった子のベッド周りのカーテンが閉められ、担当医師や看護師たちが慌ただしく出入りしている時もあったなと、これを書きながらも連鎖的にその時のことがいろいろと思い起こされる。鼻血が止まらなくなってしまったので絶対安静で話しかけてはいけませんと看護師に言われたこともあった。

入院して最初に声を掛けてきてくれたのは、2歳上の小林くんであった。飄々とした態度と明るい気質と歯に衣着せぬ発言が印象的で、僕がいた病室のリーダー的な存在だった。彼は僕の持っているYMOのカセットについて話をしてきた。

「YMO好きなの?」

それ以降、すぐに小林くんとはいろいろと話をするようになり話題は尽きなかった。

彼は僕が知らない坂本龍一高橋幸宏のソロアルバムを持っていて、自分のベッドの後ろの棚にレコードを飾っていた。高橋幸宏の「音楽殺人」のジャケットデザインは当時とても怖い印象があったので強烈に覚えている。「サラヴァ!」も一緒にあったような気がする。そう、小林くんは高橋幸宏に顔が似ていたのだ。

勿論、最初の話題は「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」についてであり、僕は小学4年のただのミーハーだったので芸術性など全く理解できず、「テクノポリス」&「ライディーン」好きな一般ピープルの一人。キャッチー&ピコピコした音感がただただ楽しいという理由で好きだった。しかし小林くんは最初から違っていた。

「キャスタリアだね。」の一言。もう負けていた。小林くんは分かっている人だったのだ。映画音楽のような壮大なスケールを感じさせるその曲は小4の僕には難しい曲という印象しかなかった。

 

 

 あとから記録を調べ直していると、史実と記憶が一致してより鮮明になってきたことがあった。アルバム「BGM」の発売日が1981年3月21日だったことが分かってから、入院時の記憶は幸か不幸かハイレゾ化を増した。