惑星☆のかけら

向精神薬からの脱却記録、個人的な生活メモ、雑記、つぶやき、好きな音楽について書いています

断薬から2年3か月

断薬後、飲んだ薬のこと、薬を飲んでいた時の行動について考えない日は一日もありませんでした。過去を振り返ることは辛いことです。しかしそれらを考える頻度は確実に減ってきました。身体的な面での改善は朝起きられる日が多くなったこと、体温調節が回復している事が挙げられます。活動面ではウォーキング、図書館での読書、掃除&洗濯を継続させることを目標にしています。断薬から2年3か月経過しましたが、まさかここまで精神的にも肉体的にも回復するとは思っていませんでした。何回も絶望の淵に立たされ、自分の過去を呪い、辛い日々を過ごしてきましたが時間の経過と共に着実に回復してきました。またこの経験も人生においては無駄ではないという前向きな考え方も出来るようになりました。『完全復活』は目指しません。不確実な世界の中で、不完全な人間が、それでも精一杯生きていくにはどうすればよいのか?『今日出来る精一杯の事』を積み重ねていくことだと現時点では思っています。

ビバ オザケン!

音楽の普遍的な良さは

時代を越えて受け継がれていくんだよ

 

オザケン

「愛し愛されて生きるのさ」

を作ったから

その元ネタを

知ることが出来たんだ

彼は偉大な翻訳者、編集者

いや発見者なんだ

 

下の 2曲を続けて聴いてみると 

「両方ともいいよね!」って

最近は素直に言える

 

この頃の

オザケンの歌詞は素晴らしい!

youtu.be

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1985年の夏休み

15歳の夏休みをあなたは覚えていますか?

当時中学三年生だった僕は部活と受験勉強の二種類の行為をただ無目的に漠然とこなしていたことしか記憶にない。「部活」と「受験勉強」には体を鍛え勉学に勤しむという学生の本分が確かに含まれてはいるが、その本質を考えることなく世間や周りの目を気にしながら「そうするのが良いらしい」という空気に従っていただけだ。そのときの僕はただのロボットのようなものだったのだ。そう気が付いたのはそれから33年後の夏、2018年8月である。勉強は自分にとっては何だったのだろうか?間違っても「将来は科学者になりたいから数学や理科を勉強しよう」とか「文学者になりたいから本を沢山読もう」とは思っていなかった。学校の成績が良いと親や教師から良く思われるから、周りの友人から一目置かれる存在になれるから、ぐらいの気持ちしかなかったと思う。今としてみればとても寂しくむなしい気持ちになる。「本質を見抜く力」というものがいかに大切か痛感する。

では本来、勉強とは何なのか?

今現在、自分で言えることは「今、知りたい学びたいことを深く掘り下げること」だろうか。自分が本気で知りたいことを集中して調べたり、参考図書を読んだりして見聞を広めること。そこには「なぜなんだろう?」「どうしてそうなるんだろう?」という疑問符が常に付きまとう。「?」が知ることの原動力になり、学ぶきっかけになる。つまり様々な人生における失敗がなかったら自分にとっての学ぶきっかけがなかったわけで、失敗して挫折してもっと勉強しなきゃだめだなと思ったことがエネルギーになっているのである。今、自分にとって最も興味があるのは自然科学の分野、宇宙&生物の進化や起源、社会学などである。ここに辿り着いたことには確かに理由はあるのだ。

1985年の夏もきっとそれなりに暑かったんだろう。2018年の夏はどうなるか?

自分次第である。

 

youtu.be

灼熱の引っ越し準備

連日最高気温が35℃越え

もう体力の限界と思いつつ

悪条件の中

部屋の荷物を仕分けしている

 

体に負荷を与えることは

回復への近道

 

多少の無理は

必要なもの

あと1日

頑張る・・・・

 

断捨離

今月末に引っ越しをすることになり

荷物を整理しているのですが

10年間一度も使ってないモノが多い

 

食器・キッチン小物・服・鞄ありすぎる・・・

生活必需品とは何なのか?

 

必要なものは厳選した方がいい

本・雑誌・カセットテープ・手紙などの

思い出がたくさん詰まったものは

今までは捨てられなかった

 

「執着心」

「過去に拘る」

「思い出に浸る」

 

しかし持っている所有している

という満足感はもういらない

 

過去を振り返るものは

もう要らない

 

生きているのは現在

残された時間は未来しかない

現実を受け止めよう

 

荷物を整理していると

過去を清算している

ような感覚になれる

 

明日からどう生きるべきか

考えるきっかけになる

 

断捨離は心の整理に効果あり