惑星☆のかけら

向精神薬からの脱却記録、個人的な生活メモ、雑記、つぶやき、好きな音楽について書いています

今、調子が悪くても気にするな!

ここ最近(9月中旬以降~)調子の悪い日が続いています。

季節の変わり目

気温の急激な変化

台風の影響

など…外的な影響は考えられますが、どうにもこうにも前に進んでいかないと言いますか、活動が鈍ってしまいひきこもっています。

 

しかし2年前は地獄の離脱症状と戦っていたのです。

(以前のブログから引用)

筋肉の硬直
吐き気
食欲減退
頭痛
前頭葉辺りが常にビリビリする
耳鳴り
朝の日の光に耐えられない
ほとんど眠れない(眠れても一日長くて2時間ぐらい)
無気力(自発的に行動出来ない)
極度の不安(これが一番辛かったです)
過去の記憶が急によみがえり気持ちが不安定になる
いつも微熱で体温調節が出来ない(平均37.5℃)
排尿異常
汗を上手く出せない
首周辺の痛み(パキパキ音がする程、違和感あり)
リンパ腺の痛み
ほとんど寝たきり
自殺念慮
テレビ・本・音楽などはすべて拒絶(情報を取り込むと混乱する)
会話がうまく出来ない、考えがまとまらない
髪質の変化
体から体液とは思えない脂っこい皮脂が出る
薬を飲んでいたときの出来事を後悔する

 

いやぁー( ̄▽ ̄;) 壮絶でした。

それを思えば、現在の不調なんてなんてことない。

不調の部類ではない。甘えてるだけなんじゃないか。

と自分に言い聞かせてみる。

 

 

心に響く文章 其の壱

しかし、君、誤解してはいけない。僕は決して、絶望の末の虚無みたいなものになっているわけではない。船の出帆は、それはどんな性質な出帆であっても、必ず何かしらの幽かな期待を感じさせるものだ。それは大昔から変りのない人間性の一つだ。君はギリシャ神話のパンドラの匣という物語をご存じだろう。あけてはならぬ匣をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬、貪慾、猜疑、陰険、飢餓、憎悪など、あらゆる不吉の虫が這い出し、空を覆ってぶんぶん飛び廻り、それ以来、人間は永遠に不幸に悶えなければならなくなったが、しかし、その匣の隅に、けし粒ほどの小さい光る石が残っていて、その石に幽かに「希望」という字が書かれていたという話。

それはもう大昔からきまっているのだ。人間には絶望という事はあり得ない。人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある。正直に言う事にしよう。人間は不幸のどん底につき落され、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。それはもうパンドラの匣以来、オリムポスの神々に依っても規定せられている事実だ。楽観論やら悲観論やら、肩をそびやかして何やら演説して、ことさらに気勢を示している人たちを岸に残して、僕たちの新時代の船は、一足おさきにするすると進んで行く。何の渋滞も無いのだ。それはまるで植物の蔓が延びるみたいに、意識を超越した天然の向日性に似ている。

 

太宰治パンドラの匣 より抜粋

 

 

自分にとって

パンドラの匣」とは?

「希望」とは?

いろいろ考えさせられます。

 

断薬から2年3か月

断薬後、飲んだ薬のこと、薬を飲んでいた時の行動について考えない日は一日もありませんでした。過去を振り返ることは辛いことです。しかしそれらを考える頻度は確実に減ってきました。身体的な面での改善は朝起きられる日が多くなったこと、体温調節が回復している事が挙げられます。活動面ではウォーキング、図書館での読書、掃除&洗濯を継続させることを目標にしています。断薬から2年3か月経過しましたが、まさかここまで精神的にも肉体的にも回復するとは思っていませんでした。何回も絶望の淵に立たされ、自分の過去を呪い、辛い日々を過ごしてきましたが時間の経過と共に着実に回復してきました。またこの経験も人生においては無駄ではないという前向きな考え方も出来るようになりました。『完全復活』は目指しません。不確実な世界の中で、不完全な人間が、それでも精一杯生きていくにはどうすればよいのか?『今日出来る精一杯の事』を積み重ねていくことだと現時点では思っています。

ビバ オザケン!

音楽の普遍的な良さは

時代を越えて受け継がれていくんだよ

 

オザケン

「愛し愛されて生きるのさ」

を作ったから

その元ネタを

知ることが出来たんだ

彼は偉大な翻訳者、編集者

いや発見者なんだ

 

下の 2曲を続けて聴いてみると 

「両方ともいいよね!」って

最近は素直に言える

 

この頃の

オザケンの歌詞は素晴らしい!

youtu.be

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